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シン・エヴァンゲリオンを観てきた

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さらば全てのエヴァンゲリオン

シンエヴァ、次回予定のお友達とのオンライン飲み会で、自分以外の皆が鑑賞済だったので、ネタバレ配慮されるのも悪いと思って観てきました。たまたま監督の舞台挨拶回でした(舞台挨拶はライブビューイング)。

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日曜早朝の新宿

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早朝の舞台挨拶回

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久々の映画館

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コンソメWパンチのポップコーン


以下諸々感想。

 

作中はやはり大量の未処理情報群が頻発。重要な情報を短いカットや、ちょい出しにする手法によって。これの根底にあるのって「観客に安易にわからせたくない」というものなんじゃないかなー。

 

 

 

エヴァと自分語り 

と、不毛な文句から始まったが、元々エヴァは結構熱心なファンで、TV放映当時は高校生だった。

 

私は小学校~中学校の始めぐらいまでは結構熱心なアニメファンだった。NHKでやっていた庵野監督の「不思議の海のナディア」も大変愉しんだし、当時はテレ東が18時台に毎日2本はアニメをやっていて、平均すると1日1本は見てるぐらいだったと思う。

 

キャッ党忍伝てやんでえ」「ガムラツイスト」「魔神英雄伝ワタル」「パトレイバー」「らんま1/1」「悪魔くん」「おぼっちゃまくん」「聖闘士星矢」・・・などなど。でも中学校後半になるにつれて、趣味・嗜好が変わってアニメを見なくなってしまって、あんなに好きだった「魔神英雄伝ワタル」の続編、ワタル2も見なかったぐらいだった。

 

そんなアニメ離れを起こしていた高校生の私を再び引き戻すほどには、エヴァは強烈な体験だった(たしか本当に偶然ザッピング中に、6話「決戦、第三新東京市」を途中から見たら、すっかり引き込まれて、マジやべえ!ってなったのだった)。

 

人生で初めてアニメイトに行った(そういや特に当時はまだ、宮崎事件の影響なのか、IT革命によるサブカル文化の波及前だったからなのか、どうもアニメはやっぱ非モテの悪いイメージが先行していた。今とは隔世の感がある。)のもエヴァきっかけだったし、関連書籍やCDも収集したし、A列車で行こう4やシムシティ―を遊ぶ際には都市名を「第三新東京市」にするぐらいには、熱心なエヴァファンだったと思う。

 

 

 

 エヴァの何が好きだったか

ただ、じゃあ私がエヴァの何に惹かれていたかというと、人類補完計画だったり死海文書だったりゼーレだったり、作中にこれでもかと盛り込まれた謎・伏線に対してであった。こんなにたくさんワクワクする謎があって、それがどう説明付けられるのだ?!と。

 

で、それが結局TVアニメ最終回までにあまり明かされず、それは締め切りもあったろうししょうがないのかな(おめでとう??)ーと高校生なりに思ったものの、その後の劇場版を見て、やっぱり腑に落ちる感がなかった(気持ち悪い??)ので、そこでちょっと醒めてしまったのであった。コミック版も集めてはいたが、5巻ぐらいで大学生にもなっていて、続きを買わなくなってしまったのを覚えている(まあその後なにかでチラ見したけれど、そもそもその辺の謎要素って結局フレーバーテキスト扱いだったみたいですね)。

 

そうした謎要素だったり、あとはシンプルに綾波レイ静物的なフェティシズム的魅力だったりとか、作中の要所要所で描かれる第三新東京市の寂寞さを愉しんでいたような気がする。

 

 

 

エヴァが描いてきたもの

また、現在の私は、どうも基本群像劇系が好きであるようで、例えばゲーム・オブ・スローンズだったり、ダウントン・アビーだったり、アヴェンジャーズだったりする。ガンダム(ZZまでしか見てませんが)もそうかもしれない。

 

それに比べるとエヴァってどうしてもシンジ君にフォーカスされた物語であって、セカイ系という単語を生み出してほぼ同義となったように、コンテンツのボリューム(長さ)の割に一人称性の強い作品だと思う。乱暴な見方であることを承知で言うと、そういうところもあって、ある種自分が世界の中心にいるように感じられてしまう、特有の世代に刺さったのではないか。怒られるが。

 

もちろんミサトさん、ゲンドウ、レイ、アスカと周辺人物もいなくはないにしても、彼ら彼女らの群像劇として楽しんでる人は少ないと思う。謎を残すように作るため、どうしたって描写量が少ないし、特に今回もゲンドウ・冬月側に誰もサブキャラがいなかったりする(あれは冬月以外誰もヴンダーに乗ってないの?というかネルフは2人しかいないの?)一人一人の背景やストーリーテリングが薄く、それでいて唐突ではあり、率直に難解だと思う。

 

だからどうなんだろう、安易な見方かもしれないけれども、やっぱ社会と折り合いをつけられなかったりする繊細で傷つきやすい人の象徴としてのシンジ君やアスカ、その他だったりがいて、彼ら彼女らの内面的成長・自己回復物語という構成は、なかなか40を超えて、成長性Eの俺が見てもなあという感は拭えなかった。作中の人物を見て、自分の生き方にちょっとでも影響を与えそうな何かだったり、気づきと言ったものが希薄というか。


決してスノッブ感で自分を演出したいわけじゃないんだけど、正直初見当時からも、確かに主人公シンジ君自身に対してはあんまり思い入れがなかったような気がする。

 

そもそもシンジ君に自己投影なりする場合って、自分が多少なりとも繊細であるという自己認識が必要だと思うが、私の場合、高校当時に自分が自分で思っていたほど、繊細な人間ではまったくなかった(繊細だったら鬼越トマホークや金属バット、マシンガンズを好きになったりしないだろう)ということも、その後の人生でわかった。ついでに言うとスター性もなかったし、才能もなかったが。うん、なにもなかった。でも人間そんなもんだろう。 

 

 

 

舞台挨拶を見て

さて、たまたま舞台挨拶回だったので、その後の舞台挨拶も見たけれども、その中で庵野総監督が明確に「エヴァはロボットアニメなんですよ」と言っていたのが印象深かった。

 

それを聞いて、庵野監督にとってエヴァって、まずロボットアニメという軸があって、それでいてそれまでの物理的・表面的なロボットバトルだけではなく、それを演出するためにキリ教周りの用語を散りばめたり、精神世界を印象的に描いたのがエヴァンゲリオンだったのかなと。もちろんガンダムでもニュータイプ同士の精神交感は描かれていたが、それを拡大して描いたのが95年の世紀末という時代性もあって、広範な支持を得たということなのかなーと思ったりなんかした。

 

舞台挨拶回で言うともうひとつ、前田監督の「リアリズムの前半」「妄想(想念世界)の後半」と分けて考えられていたような発言が印象深かった。製作チームの中でも、リアリズムというかロジカルで物理的な作品世界の側面と、精神面をフィーチャーした作品世界の側面とで捉えてたのかなーと思った。(で、私はそれで言うとリアリズムにフォーカスするタイプのファンだったのだ。ポストアポカリプス世界観はウォーキングデッドやけものフレンズ、ホライゾンゼロドーンなんかと同様に、前半の第三村パートは愉しかった)

 

※「ロジカル」という表現はもしかしたら違和感あるかもしれないけど、ここでは村上春樹大先生が仰られる「ロジカルな世界」と「その地下に広がる非ロジカルな世界」という対比の意味で書いた。

 

 

 

謎を愉しむということ

そういや劇場公開後の話題のひとつに「いまの観客は、謎を謎として楽しまなくなった」というのがあって、それが結構刺さった。その通りだと思ったから。

 

エンタメにとっての謎の良さって、視聴者が考察する余白だと思うんだけど、寂しい話ながら年々どうしても、そこを考える意義というか現実的利益のことを考えてしまう。

 

考えること自体には意味があるし、それでいうと、私が脳トレ的にピクロスやbokete回答を愉しんだりするのと、謎の考察って「脳の活動量」的には変わらないかもしれないけど、でも、答えのない、というか答えの明かされないことを考え続けるのって、ちょっとやっぱ悪い言い方すると、虚しくなってきてしまったというのはある。部下の評価やら資産形成やら家族付き合いとか健康とか、人それぞれだろうけど、世の中他に思う患うことが多すぎるのだ。

 

それって極論の話ではなく、だからと言って逆に、すべてとてもわかりやすいイージーで何一つ考察不要なエンタメを至上としたいわけではないんだけど、やっぱバランスだよなあと。世の中何だってそうそう0か1のビット化はできないのだ。

 

 

 

個人の感想ふたたび

というわけで、言うまでもなく、これはあくまでこういう人もいるよという個人の感想に過ぎず、目を広げると、各界の著名人がエヴァファンだったりするし、そこには彼ら彼女らが深く感銘を受けるだけの深さを持った、四半世紀を代表するビッグコンテンツであったことは間違いないし、今後なかなかこれを超えるだけの社会的インパクト(論壇誌やインテリ層が読む雑誌にまで波及するような)を生み出せる作品も出てこないだろう。

 

コンテンツとの個人的な距離感的に「これはとんでもない大傑作だ!」と手放しでほめたたえることは正直難しいし、それも寂しいんだけど、まあでも、なんかTVアニメ版や旧劇版と比べると断然きれいな大団円感あるし、確かに登場人物も一通りケリをつけたし、2時間半もあっという間で楽しかった。終盤の描写からなんとなく、色々派生してきたエヴァ(ゲームだったりマンガだったり諸々含めて)の終わりです!ということなのかなーと思った。だからさらば全てのエヴァンゲリオンなのかなと。各カットもディティールのかっこよさがあって愉しめた(伝わってくるんですよね、フェティシズム的にこれがかっこいいというこだわりなんだろうなーというのが。機械の駆動っぷりとか。)

 

こうしたちょっと醒めた感想って、もしかしたら製作陣や熱心なファンにとってみてはあんま面白くない感想かもしれない。でも、エヴァというコンテンツって、TVアニメの頃から、閉じるの一番難しい作品だったんじゃないのかなーと思う。世間の色んな人が思いを託してしまった作品だろうし。

 

だからこのような私のつまらない感想も製作陣は織り込み済だろうし、そういった意見・感想があることを承知で一生懸命閉じたことはすごいことだなーと思う。

 

少なくとも、シンゴジラやシン仮面ライダーは観たいと思った。

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さらば、全てのエヴァンゲリオン



 

 

と、やっぱtwitterの140字制限下での感想はあまりよくないですな。よくないというか、そのボリューム感に慣れるのはよくないと思う。一定量の思考をどういう形であれまとめるのには3000字程度は必要だと再認識できた。