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なぜ君は総理大臣になれないのか(2021日)

良質なドキュメンタリー

www.netflix.com

※なぜか英題になってしまう。

 

前から観たかったもののタイミングが合わなくて映画館に行けず、ネツゲンの作品は配信されないという情報を目にして諦めていたのだが、Netflixに配信されていたので観ることができた。


監督大島さんは、こんな(観る人のいなさそうな)題材でわざわざ一本作って、なかなか骨のある監督だなーと思っていたら大島渚さんの息子らしい。TVタックルの血筋なのか。

 

劇画大宰相なんかを愛読していたりしてマクロレベルの政界話はエンタメ的に読んではいたが、ここまでミクロな選挙活動だったり、素の政治家像が描かれていたのは初めてで、とても面白かった。

 

小川じゅんや氏は本当に謹言実直でピュアな青年で、初当選時は弱冠32歳。作中周囲(監督、両親)から「政治家に向いてない」という話がされるのだが、だからこそドキュメンタリーとして成立したのだろう。

本人には大変失礼ながら、悪い見方をすれば幾分素人然としているというか、多くの人が想像するリッチな政治家像とは随分かけ離れており、まるで「政治家になってみた」というか職業体験ドキュメンタリー的な感触すら受けた。

 

 

政治家としての資質

なぜ総理になれないのか、というと、そりゃ野党議員だからというのももちろんあるが(とは言え作中では2003年の初当選から描いているので、民主党政権の時代も含まれている)、やはり資質の問題があるように思わされる。

 

それは人格的に不適合ということではなく、田中角栄が言うところの「政治とは数だ、数は力だ、力は金だ」、という論理からすると、数を作る(派閥を作る、大きくする、出世する)というところの才というか、意欲、特に権力欲に欠けるためではないか。

大宰相やその早坂茂三氏の解説を読むと、いかに政治が男の権力欲の見苦しくも激しい情念の世界か。政治は乙女の祈りではない。かつて前尾繁三郎のような人がいて子分に愛想を尽かされ派閥を追われてしまったように、やはり政敵に多数派工作を仕掛けて権力奪い取るような権謀術数、手練手管がないと、政治の世界で「人の上」には立てない、すなわち総理になれないのではなかろうか。

 

冒頭で本人が自称しているように、日本をよくしたいだけの政策オタクなのだ。それは眩しいし、実際に政治に携わってほしいのはこうした方ではあるが、やはり人間の様々な欲望が原動力となって廻っている、高度資本主義社会においては広範な支持は得られにくいのかもしれない。同選挙区の競合が、香川で7割のシェアを誇る四国新聞のオーナー一族である平井卓也ともなれば、それはさらに厳しい戦いを強いられることになる。

 

また、政界でなんとかイニシアティブを取って、何らかの潮流を生み出そうと思っても、比例復活者は政界において(我々が思ってた以上に)形見が狭いというのは新たな知見だった。選挙区で落ちても、なんだ比例で復活かよと思っていたが、存外政界における影響力というかダメージは大きいらしい。小川氏は当選6回とは言え選挙区では6戦1勝5敗だった。

 

 

民主党の凋落

先日の衆院選挙の結果を経てまた明確になってきたのは、野党第一党である立憲民主党は、結局社会において最も大事な「経済政策」というものをあまり全面に出さず、自民党の問題点の追及や少数派の尊重といった重箱の隅ばかりを訴えるから負ける、ということだ。

 

もちろんモリカケサクラは軽視してはならない問題で、特に森友学園については公文書偽造の挙句に担当者の自死という、権力者により強いられた犠牲が闇に葬られているのは道義的に許されないと思っている(柳澤健「2016年の週刊文春」での描写を読むと、とても些末な問題とは思えない)。だがそれに対して感情移入して義憤に駆られる人や、また、同棲婚や苗字問題が人生において(言わば日々の給料や物価よりも)決定的に大事な人は少数なのだろう。だから広範な支持になりにくい。

 

さて、ではその野党が(れいわ新選組的な突飛なものではなく現実的な範囲の)経済政策を打ち出さないのはなぜだろう。当初の私の予想では、経済政策を検討するだけの情報に(与党議員に比べて)アクセスさせてもらえないのではないかと思ったが、小川氏がそうであるように、民主党もそれなりに元官僚がいるはずだ。となると派閥の長である上層部の判断というか、引いては人的な質の問題なのか。聞いてみたいところだ。

 

予想を加えるなら、自民党が私達の政策をパクって~という一節があったように、結局のところ自民党はかなり総合的というか、軸らしい軸がかなり曖昧な鵺のような政党なので、毎度争点の明確化は困難で(そのため有権者は投票行動の検討が困難で、低投票率につながっているのだろう)他政党にとって対抗がしにくい、というのはあるかもしれない。

 

 

なぜ安倍自民は強かったのか

また、メディアがあまり昭和や平成初期の頃程、政権与党に対する批判をしなくなったようにも見える。平成以降だと宮沢、橋本、森、安倍(一期)、福田らは支持率の低下により退陣に追い込まれ疑似政権交代が起きたが、下野を経ての安倍(二期)時代は、強かになったというか、あまりにも長くなり過ぎた。

 

ここで脱線するが、なぜ安倍政権はこれほどまでに長期化したのか。幾つかの理由があるだろうが、私が推測するに、
 ①下野を経て、自民党議員内に、派閥争いは依然するにしても党全体の支持率を下げるような内輪批判はほどほどにしようという心理が働いた。
 ②ふんだんにメディアに官房機密費を流すなり、NHKに圧をかけるなり民放を抱き込むなりで、メディアに積極的な批判をできるだけさせないようにした(という説)。
 ③そもそも小選挙区制が、党執行部が派閥よりも強くなるシステムだから。
 ④戦後さすがに50年以上も経つと現在の選挙制度が洗練されて、世襲候補の優位性と、新規参入の困難さによって議員の小粒化が進み(小川氏のように熱意だけで支持層、名声、予算すべてが無い状態で、現在の職業を辞してまで挑戦するような人は極めて稀)、結果かつてのような熱心な派閥争いすら無くなった。(戦後の混乱期に頭角を現したような癖と腕力のある親分的人材が減った)
 ⑤アベノミクスリフレーション政策により、失業率や株価といった雇用周りの数字が改善し続けた(とはいえこれはこれで実質給与が伸びないなど、粉飾的な要素もあるのだが)ことで、潜在的な支持率が堅調だった。

 

そういえば作中、田崎史郎氏が登場してくるのは意外だった。何でも、野党議員の中では小川氏を買っているかららしい。安倍自民御用達のポジショントーク政治評論家というイメージの強い田崎氏で、実際その通りなんだろうけど、結局のところ政治の世界は人と人なのかもしれない。

 

 

最後に

上で、失礼ながら資質に欠けるとは書いたものの、とは言え、小泉進次郎はあんなひどい言語能力ですら次期総理として一定の支持をする人がいるし、思えば父小泉純一郎のように派閥の支援は強くなかったにも関わらず、その清廉な(変人)イメージだけで総裁選を突破して上り詰めた例もある。

小川じゅんや氏も、風が吹けば何かの間違いで大臣ぐらいにはならないとも限らない。その起爆剤に本作はなっているように思う。50で勝手に定年視するのではなく、稀有な人材なのだから限界までがんばってほしい。

 

ただ、問題は政策志向で、本人としては持続可能性についての方針であり、どうやって経済成長させるかというよりは、いかに将来に向けて手当てをしていくか、が中心らしい(のように見える)。その点もなんだか小泉純一郎の「痛みを伴う改革」的な気配がする。

 

先日、選挙にボランティア参加した人の匿名ダイアリーがあったが、

anond.hatelabo.jp

こちらを読んだ上で本作を観ると、ボランティア参加してみたくなる気になった。ハードで多大な労力のかかることではあるが、やってみてわかる気づきが多々ありそうだし、確かに投票だけして義務を果たした気になり、嘲笑的態度を取ってるだけでは、あまり誠実な態度ではないというものなのかもしれない。

 

私個人としては別に反自民というわけではない(何しろ大宰相の愛読者なのだ)が、政治にこそ健全な競争原理が必要だと思っている。そういう意味で自民党一強は望ましい体制ではない。世襲候補も上限を制限してほしいと思っている。

作中小川氏は民主主義は51%の勝利者が49%の思いを背負うこと、と語っていた。

だが極論すると現状50%ちょっとの投票率なのだから、全体の26%が団結して自分たちに都合のよい政策をしてくれる政党に投票すれば残り74%に負担を押し付けることができる。

 

もちろんこれは重ねて言うが極論で、実際は負担の程度で風向きが変わるわけだが、でもそうした実利に無関心な宗教的信仰層の存在も加味すると、先ほど26%と書いたが、それどころか、実は10数%にとって都合のよい政策で進めることができるのではないか、と思ったりする。権力の独占はその傾向を加速するだけだろう。

 

とにかくあっと言う間の2時間だったので、続編「香川一区」が楽しみ。